2015年御翼11月号その4

NHK連ドラ「あさが来た」――― 広岡浅子

   

 2015年秋から2016年春のNHK連続テレビ小説「あさが来た」が放映されている。ヒロイン「あさ」のモデルとなったのは、広岡浅子という、幕末から大正にかけて活躍した女性実業家である。浅子は十七歳で、大阪の豪商・加島屋に嫁ぐが、夫は道楽好きでのんびり屋、商売に熱心ではなかった。時代は徳川幕府が終焉を迎え、明治維新が起こる。すると、諸藩への膨大な貸金を、加島屋は殆ど取り立てられなくなる。更に、明治政府は、大阪の豪商らに明治天皇が京都から東京に移るときの資金の用立てを命じた(八万両、現在の約40億円)。
 当時二十歳の浅子は、商売に興味の無い夫に代わって、倒産しそうな加島屋を立て直そうと、資金集めに奔走する。女性が社会の表舞台に出ることが極めて稀だった時代に、家や自分のためだけでなく、女性たち、ひいては社会全体のために幾多の困難を乗り越えていく物語が、連ドラのモデルである。
 浅子は、事業の立て直しのため、新しい分野だった炭鉱事業に乗り出す。単身出かけていき、気性の荒い炭鉱夫と交渉した。さすがの浅子も内心は不安で、懐には常に護身用のピストルを忍ばせていたという。三井家に生まれた浅子は、幼い頃から男性には与えられ、女性には与えられない特権、特に「教育」への思いは強く、日本初の女子高等教育機関・日本女子大学校(現在の日本女子大学、成瀬仁蔵(じんぞう)牧師が創立)の設立に中心人物として関わることになる。この偉業は、実業界に身をおいていた浅子の人脈や寄付金によるものが大きかった。
 浅子が還暦(60歳)を迎えた頃、人生の転機が訪れる。悪性腫瘍(乳ガン)のため手術を受けることになったのだ。浅子はこの時万が一を覚悟し、内外の仕事を整理する。手術から目覚めると、自分の命は天が何かをせよといって、貸したものではないかと思った。その年の暮れ、ある牧師と出会い、宗教について何も知らないならば、謙遜な生徒となり、学ぶようにと諭される。自分の力で成してきたという大実業家としての自負心があった浅子である。牧師の問いかけを否定しても不思議ではない。しかし、浅子は女性の進歩を願うならば、自らが先に修養しなければならないと、牧師の教えを請うようになる。そして、聖書の教えに触れると、浅子は、「わが身の倣慢な事がわかり、今までの生涯が、恥ずかしくも馬鹿らしくも思われ、改悔(かいげ)(悔い改め)の念に堪へなくなりました」と言っている。浅子が愛した聖書のことばの一つは、「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです」(第一ヨハネ三章二節)である。浅子は相当傲慢で、思ったことをずばずばと相手に誰であろうと言う人だった。そんな傲慢さも、キリストの十字架によって赦され、神の子とされることを知り、一九一一(明治四四)年のクリスマス、大阪教会で洗礼を受けた。誰にも頼らず、自分で生きてきたと信じていた浅子が、神に愛され、生かされていたのだと気づいたのだ。
 苦難と戦ってきた広岡浅子は、女性の立場を救うという善い働きができた。それは、自分の力ではなく、悪い状況から、善を生み出してくださる神がおられるからであったことを、大病がきっかけで知ったのである。

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